リンカーン日誌

或る量的遺伝学者のテニュア取得までへの道

二十代の履歴書

年末なので二十代に関する言葉をまとめてみました。

ぼくは二十歳だった。それがひとの一生でいちばん美しい年齢だなどとだれにも言わせまい。p.8.

ポール・ニザン「アデン アラビア ポール・ニザン著作集」 篠田浩一郎訳 晶文社

「独りであること」、「未熟であること」、これが私の二十歳の原点である。p.13.

高野悦子二十歳の原点

こういうよろこびをいったい何というのだろう。「ささやかな幸せ」というやつだろうか。青春と呼ばれる時代にはあんなにささやかな幸せを忌み嫌っていたのに、人間変わるものだなあと思いを致した夏でもあった。人間変わるものだ、などという感慨も、そういえば昔は忌み嫌っていたっけ。

川上弘美「ゆっくりとさよならをとなえる」から「オクラの夏」

「40歳過ぎたら男は自分の顔に責任がある(Every man over forty is responsible for his face)」と言ったのは確か米国第16代大統領リンカーンでしたね。それを念頭に置いて30代を過ごそうと思います。タイトルは中上健次のエッセイから拝借しました。

2016年度の研究費獲得状況

前回の記事では研究費獲得に関して述べてみたので、今回は2016年度のグラントプロポーザルの総括をしてみたいと思います。2014年の8月にネブラスカ大学リンカーン校に着任して、2015年は論文5本発表と内部グラント1つを獲得しました。2016年の個人的な目標は、この調子で論文を引き続き書きつつ、グラントプロポーザルの執筆にもっと力を入れることでした。結果として外部グラント4本と内部グラント2本を書き上げました。以下は詳細です。

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外部資金の獲得

2016年度も夏がそろそろ終わりを告げ、秋学期が始まります。春から夏にかけては大学院の講義ESALQ出張講義を除いて、グラントのプロポーザル執筆に追われていました。米国では大学院生やポスドクをPIが雇う形式になるので、彼・彼女らの授業料・給料・保険料等を自分が調達したグラントから支払います。逆に言うと、グラントを取得しないと大学院生・ポスドクは一人も雇えないことになります。そのためグラントの有無はすべてのPIにとって死活問題になっています。もう少し詳しいことはこちらのページも参考になります。現在のところ、PIまたはCo-PIとして以下のプログラムに申請しました。

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