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リンカーン日誌

或る量的遺伝学者のテニュア取得までへの道

清水信義教授の本

今夏の一時帰国最中に読んだ本の紹介です。最近目にしたこの記事に触発されて本書「日本のトップランナー清水信義が説くヒト「ゲノム」計画の虚と実」を手に取ってみました。ヒトゲノム計画にて、日本を代表する一員として22番および21番染色体の解読に貢献した清水信義博士の本です。

清水教授は名古屋大学大学院で岡崎フラグメントで名を馳せる岡崎令治と核酸化学で著名な三浦謹一郎先生に師事しています。卒業後は渡米してカルフォルニア大学サンディエゴ校、エール大学にてのポスドクを経て、アリゾナ大学で助教授として独立しています。教授に昇進した3年後に慶應義塾大学医学部分子生物学教室に移籍しています。ちなみに日本で最初に医学部の中に分子生物学の講座を設けたのは慶應大学だそうです。清水さんは渡辺格教授の後任であり、2代目の教授として赴任しています。またアリゾナ大学の研究室は慶大移籍後も10年間は運営していたので、毎月1回、10年間で100回以上も日米を往復したそうです。ただ慶大の教授として赴任した後も、前教授のもとで働いていた若い人たちが研究室を譲ってくれなかったために研究室がない状態だったこと、そのため築地の癌センターで小さい部屋を借りて研究生活をスタートしたとの箇所には唖然としました。さらに晩年は魚介類のゲノム育種にも関心を持っていたようです。

ヒト22番染色体についてですが、解読した文字列は3400万で発見した遺伝子は545個だったそうです。この作業に要した期間は材料整備に5年と解読に5年の計10年。ヒトゲノム計画立ち上げ当時は、日本からシークエンシングの分野で参戦したのが慶應大学、理研東海大学ともう一つの計4チームだったそうです。後年ゲノムシークエンシングの研究予算は理研に一本化されて慶大は理研の下請けのような形になってしまったことを悔やんでいました。またヒトゲノム計画における日本国内の政治的いざこざに関する記述もあります。

国際コンソーシアムと競ったセレラ社に対してはやはり批判的に描かれていますが、リーダーであるクレイグ・ベンターは研究者として評価しています。セレラ社からの視点で記述されている本の紹介はこちらをどうぞ。理研からの視点はこちらでしょうか?個人的には、アリゾナ大学時代にPIとしてどのように研究室の運営に当たっていたかについては記述されていないので、このあたりをもう少し知りたかったです。また本書は残念ながら絶版になっているようです。

日本のトップランナー清水信義が説くヒト「ゲノム」計画の虚と実